男 :「
|
東京から来たの?」
|
女 :「
|
そうよ」
|
男 :「
|
一人で?」
|
女 :「
|
一人よ」
|
男 :「
|
俺も一人なんだよ」
|
女 :「
|
だからどうしたの?」
|
男 :「
|
別にどうもしないけど。旅っていうのは一人に限るね。一人旅が一番だよ」
|
「
|
で、これからどこ行くの?」
|
女 :「
|
別に決まってないわ。これから考えるの」
|
男 :「
|
俺もそうなんだよ。細かい目的を決めない旅っていいね」
|
女 :「
|
そうね」
|
男 :「
|
修善寺に行ってみた?」
|
女 :「
|
行ってないわよ。だって、たった今着いたばっかりなんだもん」
|
男 :「
|
いいところだよ。綺麗な川の周りにある小さな温泉場でさ、」
|
女 :「
|
あなた行ってみたの?」
|
男 :「
|
ああ、昨日行ってきた」
|
女 :「
|
良かった?」
|
男 :「
|
だから、いいところだって言ったじゃないか」
|
女 :「
|
行ってみようかな?」
|
男 :「
|
行ってごらんよ。ねえ・・・」
|
女 :「
|
ん? まだ何か用事?」
|
男 :「
|
俺が案内してやろうか? 修善寺を」
|
女 :「
|
だって、あなた昨日行ったんでしょ?」
|
男 :「
|
もう一度行ってもいいよ」
|
女 :「
|
結構よ。一人で行けるわ」
|
男 :「
|
そう」
|
|
男 :「
|
ね、」
|
女 :「
|
なあに、まだいたの!?」
|
男 :「
|
俺に修善寺案内させてくれないか?」
|
女 :「
|
どうして?」
|
男 :「
|
君ともっと話してたいから」
|
女 :「
|
あら、だってあなた、さっきは一人旅が一番だって言わなかった?」
|
男 :「
|
言った」
|
女 :「
|
じゃ、そうしたら?」
|
男 :「
|
それとは別さ」
|
女 :「
|
何が別なの?」
|
男 :「
|
君みたいな素敵な女性と一緒だったら、一人よりいいってっこと」
|
女 :「
|
いい加減ね」
|
男 :「
|
いい加減かなあ?」
|
女 :「
|
そうよ」
|
男 :「
|
それでもいいさ、さ、行こう! 荷物持ってやるよ」
|
♪ラブ・スペース(エイドリアン・ガーヴィッツ)♪
|
|
【駅:列車がホームに入ってくる】
|
男 :「
|
あの列車に乗るんだよ」
|
女 :「
|
修善寺って地図で見ると伊豆長岡のすぐそばなのに電車でないと行けないのね?」
|
男 :「
|
うん、でも4つめの駅で15分くらいの距離だからすぐだよ」
|
【ブザー:ドアが閉まり列車が走り出す】
|
男 :「
|
そこに座ろう」
|
女 :「
|
うん」
|
男 :「
|
ん(手を出す)」
|
女 :「
|
何よ?」
|
男 :「
|
170円。この電車賃だよ」
|
女 :「
|
あら、払ってくれたんじゃないの?」
|
男 :「
|
いや、立て替えただけ。案内はするって言ったけど奢るとは言ってないよ」
|
女 :「
|
あ、それはそうね」
|
男 :「
|
俺だって一介の貧しいカメラマンだからね」
|
女 :「
|
あなた、カメラマンなの?」
|
男 :「
|
うん? そう見えないか? ほら(カメラを見せる)」
|
女 :「
|
カメラを持っていればカメラマンってことないわ」
|
男 :「
|
まあ、それはそうだけど、腕は確かだよ(シャッターを切る)」
|
女 :「
|
あら、何を撮したの?」
|
男 :「
|
君の顔」
|
女 :「
|
そんなに早く? ピントも合わせないでちゃんと写ってるの?」
|
男 :「
|
さあ、帰って現像してみないとわからないさ」
|
女 :「
|
そんなものなの? カメラマンって」
|
男 :「
|
俺の流儀さ。芸術は偶然の中から生まれるって」
|
女 :「
|
ねえ、ずいぶん撮したの?」
|
男 :「
|
何を?」
|
女 :「
|
伊豆を撮しに来たんでしょ?」
|
男 :「
|
目的を決めない旅だって言ったろ? 伊豆に来て三日になるけど、シャッターを押したのは今までで、えーと、4回目かな?」
|
女 :「
|
それっぽっち」
|
男 :「
|
俺は素材を選ぶからね」
|
女 :「
|
あら、偶然の中から芸術を生み出すんじゃなかったの?」
|
男 :「
|
あれ? そんなこと言ったっけ?」
|
女 :「
|
言ったわよ。後の3枚は何を撮ったの?」
|
男 :「
|
うーんと、旅館の女の人一枚と、昨日のバスのガイドさんと、あと一枚はと・・・、忘れた」
|
女 :「
|
芸術とは縁がなさそうね」
|
男 :「
|
ああ、今のところはね。伊豆の料理と酒を味わうのに忙しくって」
|
女 :「
|
そんなこっちゃないかと思ったわ」
|
男 :「
|
さあ、修善寺だよ!」
|
【列車が停車し、ドアが開く】
|
女 :「
|
どこが温泉なの? 川なんか流れてないじゃない」
|
男 :「
|
ここからバスに乗るんだよ」
|
女 :「
|
あら、まだ行くの!? ずいぶん動かされるのね」
|
男 :「
|
動くことも旅の楽しさの一つである。これ、誰の言葉か知ってる?」
|
女 :「
|
知らない」
|
男 :「
|
俺の言葉。さ、行こう!」
|
♪フェスティバル(ジョージ・デューク)♪ 
|
|
【水の音】
|
女 :「
|
ふーん、ここが修善寺温泉ね。静かでいいところじゃない」
|
男 :「
|
だからいいところだって言っただろ?」
|
女 :「
|
どうせいい加減な話だと思ったのよ」
|
男 :「
|
たまには本当のこと言うさ」
|
女 :「
|
あら、お寺がある! ふーん、修善寺ってお寺。・・・そっか、修善寺温泉ってこのお寺の名前から来たのね」
|
男 :「
|
うん? それだけ?」
|
女 :「
|
うん?」
|
男 :「
|
何も気がつかないの?」
|
女 :「
|
うん? あ、字が違う! お寺は「ぜん」ていう字が座禅の禅だわ。温泉の「ぜん」は、」
|
男 :「
|
善悪の善」
|
女 :「
|
ね、どうして違うの?」
|
男 :「
|
善悪の善の修善寺は地名で、座禅の禅の方はお寺の名前なんだ。地元の人は発音で区別してるけどね」
|
女 :「
|
どう区別するの?」
|
男 :「
|
修善寺(しゅぜんじ)に行くって言えば温泉に行くってことだし、修禅寺(しゅうぜんじ)に行くって言えばお寺にお参りすることだって分かることになってるんだ」
|
女 :「
|
ふーん、よく知ってるわね」
|
男 :「
|
常識常識」
|
女 :「
|
ねえ、あれ何!? 川の中に小さい池がある!」
|
男 :「
|
川の中に池があるわけないだろ。風呂だよ、温泉」
|
女 :「
|
ああ、そう言えば岩でちゃんと囲ってある。岩風呂ね」
|
男 :「
|
独鈷の湯って言うんだ。歴史的な岩風呂なんだ」
|
女 :「
|
とっこのゆって何?」
|
男 :「
|
独鈷とはですな、仏具、つまり仏教の僧侶が用いた道具の一つなんだ。鉄か銅の短い棒で、両端が尖ってる」
|
女 :「
|
それ、何に使うの?」
|
男 :「
|
煩悩を打ち砕くのに使った」
|
女 :「
|
ふーん、・・・それが何で岩風呂なの? あ、下りて行ける。行ってみましょうよ」
|
【独鈷の湯:水の音】
|
女 :「
|
ふーん、面白いお風呂ねえ。あら、説明が出てる。独鈷とは仏具の一種であり、・・・何だ、あなたこれ読んだのね? えーっと、弘法大師がこの地を訪れたとき、病み疲れた父親の体を川の水で洗っている一人の少年を見て、その孝行心に感じ、手にした独鈷を、とっこ、うん、独鈷を水につけたところ、そこから熱い温泉が湧き出て、これを独鈷の湯と名付けた」
|
男 :「
|
うん」
|
女 :「
|
へえー、弘法大師、全国色んなところに現れているのね」
|
「
|
(温泉に手を入れ)あら、本当に熱いお湯! 不思議ね、川の中にあるのに」
|
男 :「
|
不思議でも何でもないさ。温泉なんだから」
|
女 :「
|
入浴は自由ですって書いてあるわ。ええ?こんなお風呂に入る人いるの? 道から丸見えじゃない!」
|
男 :「
|
昼間はいないだろうけど、夜は結構いるんだよ。最初に勇気のある人が入ると、後は次々に入る」
|
女 :「
|
あなた、見たの?」
|
男 :「
|
見たよ。もしかしたら若い女の子でも入らないかと思って、あの橋の上でカメラを持って待ってたんだけど、3時間経っても男ばっかりで損しちゃったよ」
|
女 :「
|
当たり前じゃない!」
|
男 :「
|
君、入ってみない?」
|
女 :「
|
入ってみない! でも昔の人はこうやって温泉に入ってたのかも知れないわね」
|
男 :「
|
知れないどころか、それが普通だったんだよ。昔は宿屋にも内湯はなかったから、宿泊者はみんなこういうところに入りに来たんだ」
|
女 :「
|
じゃ、大入り満員ね!」
|
男 :「
|
はは、これ一つじゃなかったからね。こういうのを筥湯(はこゆ)っていうんだけど、昔はこの一帯に五つも六つもあったんだ。ん? 何キョロキョロしてるんだ?」
|
女 :「
|
今あなたが言ったこと、どうせどこかに書いてあるんじゃないかと思って・・・」
|
男 :「
|
ええ、俺だって書いてないこということもあるさ」
|
女 :「
|
じゃあ信じられないなあ!」
|
男 :「
|
本当の話だよ! 源頼家だってこのような筥湯に入っていて殺されたんだから」
|
女 :「
|
よりいえ、って?」
|
男 :「
|
鎌倉の二代将軍だよ。知らないの?」
|
女 :「
|
なんだ、ずいぶん昔じゃない! その頃なら宿屋にお風呂なんてなかったでしょ?」
|
男 :「
|
その時代だけじゃないんだよ。ずっと町になっても筥湯はあったんだから。岡本綺堂が明治の終わり頃、ここに来たときもいくつかあったって書いてあるよ」
|
女 :「
|
え、誰? 岡本さんって?」
|
男 :「
|
知らないの!?」
|
女 :「
|
・・・聞いたことあるけど、」
|
男 :「
|
修禅寺物語の作者じゃないか。ここに来て、源頼家の悲劇を調べて、それで修禅寺物語を書いたんだ。修禅寺物語なら知ってる?」
|
女 :「
|
読んだことないわ。あなたは?」
|
男 :「
|
うん? うん、まあね」
|
女 :「
|
あ、同じようなものなんじゃないの?」
|
男 :「
|
そろそろ行こうか」
|
女 :「
|
ほーら、形勢が悪くなった」
|
男 :「
|
違うよ、腹が減ったんだよ!
|
女 :「
|
そうね、ご飯食べよう」
|
男 :「
|
割り勘でね」
|
女 :「
|
いちいち断らなくたって自分の分ぐらい払います」
|
男 :「
|
はい、恐れ入ります」
|
♪アイ・プロミス・トゥー・ラブ・ユー(メルバ・ムーア)♪
|
|
【バス車内:アナウンス】
「次は修善寺温泉入口、修善寺温泉入口でございます・・・」
|
女 :「
|
でも小さな温泉場でも細かく見てみると色々な知らないことが分かって面白いわね」
|
男 :「
|
君の場合、知らないことが多すぎるけどね」
|
女 :「
|
あなただって覚えたばっかりでしょ? 大差なし」
|
【バス車内:アナウンス】
|
「
|
「・・・修禅寺物語について説明いたします」
|
|
女 :「
|
あ! ねえねえ修禅寺物語ですって! さっきあなたが言っていたお話しよね? 偶然ねえ!」
|
男 :「
|
お、大きな声出すなよ! みんな振り返っているじゃないか」
|
【バス車内:修禅寺物語の説明】
|
「
|
源頼朝が◎◎をもようしたとき、蘇我兄弟や工藤の陣屋に討ち入りました・・・」
|
|
女 :「
|
違う話じゃない! あなたが言った人出てこないわよ」
|
男 :「
|
今に出るよ」
|
女 :「
|
本当かな?」
|
【バス車内:修禅寺物語の説明】
|
「
|
・・・北条時政に利用され、頼朝の怒りを買い、この修禅寺で命を落としました。頼朝は平家討伐に功労のあった範頼、義経の弟たちをも北条の策略に乗り、次々と葬ってしまいました。ついに、この子、二代将軍頼家も病気を理由に修禅寺に幽閉され、北条の追っ手のために無念の最期をこの地に遂げたのであります・・・」
|
|
女 :「
|
ああー、出てきた! 楽しみねえ!」
|
男 :「
|
おい、黙って聞いてろよ」
|
「
|
・・・修禅寺の鐘の音がこうした歴史の余韻を残して響き渡ってまいります。このお寺に頼家の面と名付けられた木彫りの能面がご宝物となっています・・・」
|
|
♪ミュージック・フォーエバー(ヒューバート・ロウズ)♪ 
|
|
♪まぼろしの恋(レイモン・ルフェーブル)♪
|
女 :『
|
フラッと一人で旅に出てみるというのも、思いがけない面白いことに出会うものなのね。別に何の目的も持たないで伊豆に来て、自称カメラマンのおかしな男と道連れになったのはともかくとして、修善寺温泉で予想外の歴史をちょっと知ったり、修禅寺物語がそこで作られたってことも知ったり。それに、一番ビックリしたのは、その後で乗ったバスのテープでその修禅寺物語が流れていたこと。修禅寺物語なんて読んだことも見たこともないのに、なんだか懐かしい物語に出会ったような気になったりして・・・』
|
「
|
今を去ること750年。頃は元久元年、秋七月のことでございます。・・・修善寺の里にその名も夜叉王という表作師が住んでおりました。名工の名は鎌倉はおろか、京の都にまで聞こえておりましたが・・・」 |
|
女 :「
|
へえー、その時代にこんな山奥にそんな偉い人いたの!
|
男 :「
|
物語だよ、フィクション」
|
女 :「
|
そうよねえ」
|
「
|
・・・都育ちの気位の高い亡き妻との間に、かつら・かえでと呼ぶ二十歳と十八の娘がございました。妹のかえでは既に父の弟子晴彦をよき夫として、慎ましく咲く芙蓉にも似て、その日その日の穏やかな山の住まいに満足しておりました。これにひきかえ、母の血を受けてか、姉のかつらは派手を好み、咲き誇る牡丹の花のような艶やかさでございました・・・」
|
|
女 :「
|
そりゃいくら兄弟でも性格は違うわよ。うちだって、」
|
男 :「
|
シーッ! 静かに聞く」
|
女 :「
|
はーい」
|
「
|
・・・京の都の貴い方のお手にも触れるこの紙のように、時あらば大宮人か、よきもののふの情けを得ようものと女心に抱く憧れの夢を片時も忘れることのないかつらでございました。折も折、源氏に大将軍頼家卿は北条時政の策略により征夷大将軍の職を追われ、愛妾若狭の局との仲を裂かれ、この修禅寺に廃虚の月を眺めてはやるせない悶々の日を送っておりました・・・」
|
|
女 :「
|
悲劇の若武者ってとこね。よくあるパターンだけど、でも、ま、何となくロマンチックよね。女性ってそういう男性に弱いのかもね」
|
男 :「
|
(唇に指を当てる)」 |
女 :「
|
(たしなめられて)はーい、黙って聞きまーす」
|
「
|
・・・いずれ儚い身の行く末なれば、後の形見に我が面影を遺さんものと、似顔の面を作ることを夜叉王に命じました・・・」
|
|
|
♪鈴虫(砂崎知子・山本邦山)♪
|
かえで:「
|
お父様・・・」
|
夜叉王:「
|
うん? おお、かえでか」
|
かえで:「
|
ただ今、頼家様のご使者の方が参られまして」
|
夜叉王:「
|
ああ・・・、また来たか・・・」
|
かえで:「
|
面はまだ出来ぬのかと」
|
夜叉王:「
|
わかっておる。出来ぬと伝えて引き取っていただけ」
|
かえで:「
|
でも、頼家様は・・・」
|
夜叉王:「
|
出来ぬものは出来ぬのじゃ! 出来たらこちらからお届けに参上すると申せばよい」
|
かえで:「
|
お父さま、私が見ますれば、面は出来上がっているように思えますが・・・。今、お父さまのお手元にある面、より家様に生き写し。出来上がっているのではございませんか?」
|
夜叉王:「
|
駄目じゃ。これでは駄目なのじゃ。こんな面じゃ!(打ち捨てる)」
|
かえで:「
|
あれ、何をなさいます、お父さま!折角の面を!」
|
夜叉王:「
|
かえでには分かるまいがの、この面には死相が現れておる」
|
かえで:「
|
死相が!?」
|
夜叉王:「
|
はっきりと死相が現れておる。この面ばかりではない。今日の日まで頼家公の面を幾面も彫った。だが、そのどの面にも死相がある。これでは頼家公にはお渡しできん」
|
かえで:「
|
お父さま・・・」
|
夜叉王:「
|
何故じゃ? どうしてなのじゃ? 写し身の頼家公の面を彫っておるのに、何故死相が出るのじゃ! この夜叉王の腕もこれまでなのか!」
|
「
|
いや、済まなかった。かえでに問うても詮無いことじゃ。ときに、かつらはどうしておる?
|
かえで:「
|
はい、・・・お姉様は・・・」
|
夜叉王:「
|
うん? どうした? 言うてみい」
|
かえで:「
|
はい。お姉様は文をしたためております」
|
夜叉王:「
|
文? 文とは?」
|
かえで:「
|
頼家様にお渡ししようとして、ご使者のお帰りにならならぬうちにと、急ぎ文を」
|
夜叉王:「
|
困った娘じゃ。このような山里の面作の娘が追われの身とは言え、征夷大将軍源頼家公に懸想するとは何と言う身の程知らず。叶わぬ夢ばかり見て・・・。かつらもお前のように辨えのある娘であったらのう・・・。ああ・・・」
|
♪デス、ザ・リーパー(ジ・エニッド)♪ 
|
夜叉王:「
|
かつら、かつらはおらぬか? かえで、かえではどこじゃ? 誰か、誰かおらぬか!」
|
「
|
おお、かえで、そこにおったのか」
|
かえで:「
|
はい、お父さま」
|
夜叉王:「
|
面を知らぬか? 頼家公の面を。先ほどまで確かにあったのに、無くなっておる。うん? ・・・かえで、知っておるな?」
|
かえで:「
|
お父さま、申し訳ございません」
|
夜叉王:「
|
お前がどうかしたのか!? まさか、かえでが・・・」
|
かえで:「
|
私も懸命に止めたのですが、お姉様は、」
|
夜叉王:「
|
かつらか!? かつらが持ち出したのか!?」
|
かえで:「
|
はい、頼家様にお届けすると言って・・・」
|
夜叉王:「
|
何と、あの面を頼家公に! ああ、何と言う愚かなことを!」
|
かえで:「
|
良く彫れているからと・・・」
|
夜叉王:「
|
あの面に現れし死相が、かつらには分からなかったのか!? あの面を頼家公に! ああ、恐ろしい!」
|
|
「
|
姉のかつらは、咄嗟に父が拒む仁王の面を頼家卿に捧げました。立派な出来ではないかと機嫌を取り直されたこの若い貴公子は山里に隠れ咲く花、かつらをもお望みになりました。夢のようなと言われた望みが今こそ遂げられると天にも昇る心地して献納の面を携えましたかつらは、いそいそと頼家卿の館へお供をいたしました。その後ろ姿を見送りながら、ああ、犬の夜叉王の名も今日限りぞ、再び鎚を持つまじと無念の思いに暮れる父を晴彦とかえでが優しく慰めるのでございました・・・」
|
|
女 :「
|
やったわね! その面を持って行けば喜んで迎えてくれるってわけね。きっと、かつらは望みが叶うわよ」
|
「
|
・・・柔らかく若葉の上に寄り添い、せせらぎも暫し音を静めておりました。温かいお湯の涌くところ、おなごの優しい情けも涌くものと、新しい恋に燃えて、頼家卿の顔もいつになく明るく冴えておりました。高貴の人とひな娘との隔ても消え、桂川の川上に生い茂るという夫婦桂の契りも固く、喜びに震えるかつらに忘れえぬ愛妾を偲び、若狭局(わかさのつぼね)と名を賜りました・・・」
|
|
女 :「
|
ねえねえねえ、私の言った通りでしょう。でも、これで終わっちゃつまらないわよ。まだきっと何か起こるわよ。見ててご覧なさい」
|
男 :「
|
君こそ黙って聞いてたらどう?」
|
「
|
・・・やはり、妹、かえでの言う、夢のようなの言葉通り、空しい、一瞬の夢でございました。小夜更けて月傾く頃、温泉筥湯に頼家卿が入浴中、秋草の茂みに集く虫の音がはたと止み、時ならぬ軍馬の蹄、もののふの音、すわ事ぞと思う間もなく、北条方の討手がどっと夜討ちをかけてまいりました。空しき夢と笑わば笑え。君がひとときのお情けに花の盛りを散らすとも、高貴の望みに思いを遂げた女心の一筋に、今は惜しからぬ命と、愛しき君の衣服を纏い、似顔の面をつけたかつらは、」
|
|
|
かつら:「
|
吾こそは征夷大将軍、源頼家なるぞ!」
|
♪イン・ザ・ラップ・オブ・ザ・ゴッド(アラン・パーソンズ・プロジェクト)♪ 
|
かえで:「
|
お父さま、お父さま、御屋形に火が、御屋形が燃えております!」
|
夜叉王:「
|
お、面の祟りじゃ!」
|
かえで:「
|
お姉様は・・・!?」
|
夜叉王:「
|
かつらは、かつらは生きては帰れまい。自ら選んだ死なのじゃ」
|
かえで:「
|
ああ、お姉様!」
|
|
【物音】
|
|
かえで:「
|
あの音は・・・、お姉様? お姉様! お父さま、お姉様が!」
|
夜叉王:「
|
事切れておる・・・」
|
かえで:「
|
ああ、お姉様・・・(泣き崩れる) 頼家様の面をこの様にしっかりとお付けになって・・・」
|
夜叉王:「
|
例え僅かの間とは言え、気高きお方のお側にお仕えして、かつらも本望であったろう。儂が幾度打ち直しても面に死相が現れたが、儂の腕の拙さではなかった。頼家公の定めが面に現れて来たのじゃ。かえで、やはり儂は夜叉王じゃ!天下一の面作じゃ!」
|
|
♪桂月:けいげつ(平部やよい)♪
|
【バス車内】
|
|
女 :「
|
ドラマチックな話ねえ・・・」
|
男 :「
|
ああ、さすがだねえ」
|
女 :「
|
その源頼家のお面どうなったのかしら? あ、フィクションなんだからある訳ないわよね」
|
男 :「
|
ところが、あるんだな。さっきも行った修禅寺に、あのお寺の宝としてちゃんと保存されているよ」
|
女 :「
|
えー、見たかったわあ! 悲劇の若武者、さぞハンサムでしょうね」
|
男 :「
|
それが違うんだよね。実は顔が爛れて二目と見られぬひどい顔」
|
女 :「
|
ウソ!」
|
男 :「
|
本当だよ! と言うのはね、修禅寺物語はフィクションだけど、頼家が自分の面を誰かに彫らせたっていうのは本当なんだ。さっき、頼家が筥湯の中で殺されたって言ったろ?」
|
女 :「
|
うん」
|
男 :「
|
それも、切られたとかいうんじゃなく、湯の中に毎日少しずつ流し込まれた漆で顔や体が爛れて殺されたんだな」 |
女 :「
|
嫌だ・・・」
|
男 :「
|
頼家はそれに気づいて、爛れた自分の顔を面にして、それを鎌倉に送って、自分はこんなに虐げられているということを伝えようとしたわけ。ま、今で言えば、証拠写真なんだよ」
|
女 :「
|
へえ・・・。でも、そんな話、イヤね。もしそれが本当でもさっきの修禅寺物語みたいなドラマチックな方がいいわ」
|
男 :「
|
うん、その方が面白いからね」
|
【バス車中:アナウンス】
|
「
|
次はお狩場、お狩場でございます。船原温泉にお越しの方はここで・・・・」
|
|
女 :「
|
あ、私、ここで降りる。(大きな声で)降りまーす!」
|
男 :「
|
え、降りるの!?」
|
女 :「
|
そうよ、あなたはずっと乗っててちょうだい」
|
男 :「
|
しかし、君・・・」
|
女 :「
|
その方がドラマチックでいいじゃない。お互いの名前も知らないしさ。じゃあね! バイバーイ」
|
男 :「
|
あ、ああ・・・。ああ・・・(呆然と見送る)」
|
♪遠い道のり(ジノ・バネリ)♪
|