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音楽中心だったFMで『ドラマをやろう。それも日本全国の街を舞台に〜』とそもそもの企画を提案したのは当時私の上司だったU氏でした。FMの週一番組としては制作時間も制作費も破格でしたが、局の営業担当も、制作プロデューサーもこの企画に乗ってくれてほぼ当初のプレゼン通りに実現できたのは、稀有なケースでした。
【2006.05.24:番組制作者「あいまち」氏より情報提供】
実は「愛の街から」は、アイデアは私が出しました。77年3月に大学を卒業してラジオ制作業界に入り、最初に書いた企画書が「愛の街から」の原案となったものでした。とにかくあいまち氏と二人一組でこの番組のあれやこれやをやっていました。とは言え、私は番組の途中で(ほぼ、79年の初頭まで)他の番組に転出し、後の時代は決して詳しくはありません。
【2007.08.14:番組制作者「その2」氏より情報提供】
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●番組名について |
エピソード中、番組名に触れているのは、No.041「川崎から日向へ向かうフェリー」
「
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わかってます。いつかあなた方が東京にお戻りになったときには、ここは永遠の若者の街になっているでしょう。決して一時のファッションの街ではない。本当の若者の街。愛の街にね」
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「
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愛の街?」
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「
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愛の街・・・。代わって」「マスター、素敵だわ! 愛の街へ、こんばんは」
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「
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愛の街から、こんばんは」 |
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「
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あの二人が元気よくこの喫茶店を出てから丸一日が経ちました。・・・(中略)・・・。そして、このたくさんの外国大使館があって、教会があって、赤いレンガのペーブメント。ガラス張りの中二階の喫茶店には、また来週から新しいライミーと恋人が現れる。私にはまたそれがとても大きな喜びです。それではまた来週、愛の街で」 |
この様な形で番組名に触れているのは今回のエピソードが初めてです。東京を離れるライミーがその呼び名を捨て新しい生活を始める。でもまた新しいライミーが現れ、新しい愛の物語を紡ぐ。番組OPにある「私たちは今、数限りない愛の物語を知っています。そしてまた、数多くの未知の物語も持っています。さわやかな旅の街にそんなスケッチを求めて、愛の街から...。」というコンセプトを示唆する台詞回しとなっています。
【2014.02.15:管理者】
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●視聴率について |
それから、当時の自慢なのですが、確かに受けました、あの番組。あの番組が始まった70年代後期って、実は最初のFMラジオのブームが終っていて、低迷期だったんです。数字が稼げなかったのですよ。特に日曜日の午前中は「不毛の時間」と呼ばれておりまして、どの番組も決して満足のいくレーティング(聴取率)が取れていませんでした。ところが、「愛街」が始まり、少々リスナーの皆さんにお馴染みになった1年半ほど経った頃に、当時は半年に一度の聴取率調査がありまして、何とFM東京全体の4位という誇らしき結果を出しましてね。当時の編成部長がお祝いのお酒を持って、「U」氏の所に挨拶に来た、と。当時のFM東京の人気番組は、まず「ジェット・ストリーム」。それから土曜日の午後1時から3時までの間の、「歌謡ベストテン」と「ポップス・ベストテン」の三つでした。ラジオ業界、特にFMは、人気の高い番組って必ず「ベストテン」番組か、「リクエスト」番組と相場が決まっていたんです。その中に単独で喰い込みました。ちなみに、「ジェット」が5位でした。「歌謡」と「ポップス」が1位と2位。3位は、その「歌謡」と「ポップス」の間にあった、要するに土曜の午後2時の前の5分番組。「愛街」は、かの「ジェット・ストリーム」よりも高い人気を示したこともあったのであります。これ、ちょっと良い話でしょ?
【2007.08.15:番組制作者「その2」氏より情報提供】
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●ライミー&ヨージの命名・設定ついて |
あの「ライミー」って、結構苦労の末に決まったニックネームでした。レスカとか関西ならレーコとか、、、始まりが例のいつもの喫茶店だったので、何かそれらしくて、覚えやすくて、親しみが持てて、それでいて新鮮な感覚のあるもの***スタッフ全員でいろいろ探しているところにプロデューサーの奥様から「ライムエード」のことを「ライミー」って言うそうょ…との情報が。。。これだ!!ってコトで即決でした。対してヨージはなんとなく、ゴロの良さで簡単に。
【2006.05.24:番組制作者「あいまち」氏より情報提供】
番組の開始当初から「ライミー」はいましたが、夫である「ヨージ」は、二代目作家の佐山さんのアイデア。何か名前を付けようとしていた際に、たまたま口に楊枝をくわえていて、「あ、これでいいや」と決まったそうです。
【2007.08.14:番組制作者「その2」氏より情報提供】
上記の「その2」氏の情報より、久富惟晴さんの役柄(ライミーの恋人役)は佐山さんの命名以前は特に名前がついていなかったようですが、本サイトでは、表記の都合上、ヨージという呼称を使用する場合があります。(←下記 【2014.02.16:管理者】参照) なお、手元にある音源で「ヨージ」の名前が初出となるのは、EPISODE No.076「ライミーの誕生日を祝って」です。それ以前のエピソードでは、登場人物(マスター・ライミー)からの呼称が「彼」などの人称代名詞となっています。「ライミー」については、「その2」さんご指摘によれば番組当初からの命名とのことですが、手元の音源ではEPISODE No.029の「吾妻線」が初出となります。また、音源はないものの、EPISODE No.004の楽曲データに「ヨットのライミー」とあり、番組スタート時からのキャラクターであったことがうかがえます。
【2007.12.02:管理者】
1983年から1984年にかけてTBS系で放映された「青が散る」というテレビドラマが最近CSで再放送されました。宮本輝氏の同名の小説が原作となっている新設大学のテニス部を舞台にした青春群像劇で、全13話放送されました。今回再放送を見ていて、そのうちの数話に萩尾みどりさんが出演していることに気がつきました。当時夢中になって見ていたドラマでしたが、忘れていたのか、見逃したのか、どちらにせよ嬉しい驚きでした。調べてみたところ、「青が散る」の第1話が1983年10月21日、最終話が1984年の1月27日の放映となっていました。「愛の街」への萩尾さんの最後の出演が1983年の9月25日(最終話:萩尾・久富コンビ復活)でしたので、時期的に「青が散る」の収録と近接しています。1954年生まれの萩尾さんは当時29歳。ここでの萩尾さんは登場人物の一人と恋仲になる、ちょっと訳ありの女性という設定でした。
「愛の街」への萩尾さんの出演は、1977年8月7日から1980年3月30日の間。番組のスタート時は23歳、終了時は26歳でした。ライミーの年齢設定は萩尾さんの実年齢とほぼ同じだったようです。ちなみに、久富さんは、1935年生まれ。「愛の街」への出演は、42歳から45歳まで。萩尾さんとの実年齢差は19歳でした。愛の街には歳の差カップルを匂わせるエピソードがいくつかあり、以前からその年齢差が気になっていたのですが、キャストの実年齢に近い設定だったようです。ちなみに、ライミーとその恋人役(ヨージ含む)の具体的な年齢が出てくるのは第38話「奈良県大和高田」の次のくだりです。
男 :「 |
お半、長右衛門の心中ものがあってさ、歌舞伎に。四十男の長右衛門が14の小娘のお半に一緒に死んでくれと頼まれて、隅田川に身を投げたんだ」 |
ライミー:「 |
なーんで死ぬのかなぁ。楽しくやればいいじゃない」 |
男 :「 |
これだもの。例えば、22歳のお前によ、一緒に死んでくれって頼まれたって、齢38のこの俺は・・・」 |
エピソード中では16歳差となっており、ちょっとサバを読んでいるようですが、ある意味正直な設定なのかもしれませんね。それにしても今回思いがけず、若き日の萩尾さんにお目にかかることができ、まるでライミーがそこに実在しているかのような錯覚を覚えました。
萩尾さんは、1974年にTBSのポーラテレビ小説「わたしはあき」で主演デビュー。当時売り出し中の女優さんでしたが、「愛の街」への関わりも、そのキャリアのごく初期の出演ということになります。下記は「愛の街から」出演当時の萩尾さんの映像作品です(抜粋)
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放映年月日
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放送局
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題 名
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配役、他
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1977
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10月5日
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テレビ東京
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新・木枯し紋次郎 |
お七 役 |
1978
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2月11日
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映画
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女王蜂 |
大道寺琴絵 役 |
4月3日〜9月3日
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NHK
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おていちゃん |
大沢千代 役 |
6月26日〜9月28日
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テレビ朝日
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緑の夢を見ませんか? |
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10月6日〜3月9日
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テレビ朝日
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チェックメイト78 |
宮城刑事 役 |
1979
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5月26日
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映画
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病院坂の首縊りの家 |
山内冬子 役 |
1980
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1月〜2月
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NHK
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阿修羅のごとく |
赤木啓子 役 |
10月22日
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NHK
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御宿かわせみ「桐の花散る」 |
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1983
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10月21日〜1月27日
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TBS
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青が散る(8〜11話) |
恭子 役 |
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【2010.03.04:管理者】
第38話「奈良県大和高田」には、「男」が実年齢(=38歳=昭和16年生まれ)に言及するくだりがありましたが、第26話「苗場」の中にも久富氏演じる「男」が生まれ年に言及する部分があります。それによると、昭和14年(1939年)生まれの40歳という設定です。
謎の少女:「おじさん・・・、ひとり?」
男 :「おじさん・・・」
謎の少女:「悪かった? 私、18。どう見てもおじさん、私のダブルスコアだもの」
男 :「ダブルスコア?」
謎の少女:「歳が。36より上でしょ?」
男 :「まあ、昭和14年ですから」
【2014.01.15:管理者】
下記のエピソードについて、配役名を一部変更しました。
No.32,33,36,38,55,56,62,63,65,68,78,135:登場人物について、「ヨージ」の呼称が確認できないものについては、テキストを尊重し他の呼称に置き換えました。上にありますようにアーカイブ済みエピソードでは、No.076:ライミーの誕生日」が「ヨージ」の初出となります。この後間もない、No.080以降、ライミー&ヨージシリーズが断続的に放送されていくわけですが、どの時点で(どのエピソードをきっかけに)脚本の佐山氏がヨージをシリーズ化しようとしたのか興味があります。なお、M.O. さんから提供いただいたデータから、「ヨージ」の初出はもう少し遡ることができるかもしれません。
【2014.02.16:管理者】
(Episode No.069「東京・渋谷」の)冒頭部分の萩尾さん演じるライミーの台詞に驚きました。タイトルに表記はありませんが、ライミー&ヨージシリーズです。これまでのアーカイブ作業で、ライミーの初出は No.024「成人の日の出発」まで遡ることが判明していましたが、ヨージについては、これまで最古とされていた No.076「ライミーの誕生日」から更に初出エピソードが遡りました。下記の点から、本エピソードがキャラクター「ヨージ」の初出エピソードであり、「ライミー&ヨージシリーズ」の初回と判断してよいと思います。
1.
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番組関係者の証言から、「ヨージ」は脚本家佐山氏のアイディアであること。 |
2.
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佐山脚本初回の No.053 から 本エピソード直前の No.058 は既にアーカイブが完了しているが、そのいずれにもヨージが登場しないこと。 |
【2016.02.20 :管理者】
ここまで(No.085)のエピソードを元に、ライミーとヨージの関係をまとめてみました。
ライミーは美大出身のイラストレータで雑誌などにイラストを描いている。ヨージともども原宿の喫茶店の常連で、この店を作業場として使うこともある。誕生日は1月14日。猫が好き。過去には本格的な油絵画家を目指していた。性格は少し嫉妬深い。ライムエードが好きなことからライミーと呼ばれている。かなり裕福な家庭の出身で、父親は若くして結婚した娘を案じ、油絵留学を勧めたりしている。ヨージは駆け出しのカメラマン(出身大学は不明)で自由が丘から一駅のところ住むカメラの師匠に仕事を回してもらっている。性格はお調子者の浮気性。食事の支度は交代制だが、ヨージはよくサボる。二人は大学を卒業した秋に結婚した結婚3年目のカップルで自由が丘に住んでいる。結婚記念日は11月26日。子どもはなし。結婚に至ったなれそめは不明。
※ヨージに関する情報はあまりなく、ライミーありきの設定だったことがうかがわれます。
【2016.12.30 :管理者】
85話のIMPRESSIONで管理人様がライミー・ヨージの関係をまとめて頂いたので⇒私はライミーとヨージが私の実家の近くの東横線の自由が丘のマンションに住んでいたので・・・。これは私の妄想ですが、80話でライミーのお父さんがライミーに「渋谷だったらおまえのとこから30分もあれば出てこれるだろう」と電話したので、渋谷から各駅停車で13分の自由が丘駅から徒歩10以内のマンションになります。これを更に妄想すると自由が丘駅から何処の方角なのか???
(1) |
76話でヨージの師匠が都立大学駅に住んでいて自由が丘駅から一駅の都立大学駅にヨージが東横線に乗車したので北北東の方向ではなさそうです。 |
(2) |
大井町線の東西方向だと10分歩くと隣の駅が最寄り駅になるので東西方向ではなさそうです。 |
(3) |
住居番地から妄想すれば自由が丘駅から北北西の方向です。 |
(4) |
69話で自由が丘駅の券売機の前でライミーが『ヨージ急いで!電車来たみたい』ホームに進入する電車の音が分かり易いのは南口なので、ライミーとヨージのマンションは自由が丘駅から南の方向の可能性が一番高いです。 |
(5) |
番外?は松田聖子さんのお店があった西北西の方向 ・・・これは私の勝手な妄想なので、ツッコミを入れてください(笑) |
あと94話では自由が丘駅からタクシーで990円ですが、当時の料金だと隣の駅まで行ってしまうので94話の妄想は不可能でした。基本料金ならば(3)か(4)の裏付けになったのですが…94話は1000円でお釣りがくる設定の脚本に意味があったと思います。
【2019.01.15:K.G. 氏より情報提供】
ライミーという役どころは、屈託のない明るい性格の女性のメタファーとして番組初期から登場するキャラクターですが、前回アーカイブした No.121「釧路」と今回の「三宅島」で萩尾さん演じるヒロインにはライミーという呼称が使われていません。ちょっと気になって調べてみたのですが、ライミーが登場しないエピソードは下記の通りでした。
Episode 037「秩父」:姉弟もの(姉役)
Episode 106「伊豆・修善寺」:旅行者役
Episode 123「いい音って重いのネ」:主婦みどり役
Episode 114, 118, 122, 127「シリーズ結婚まで(全4話)」藤澤ひろみ役
Episode 128「伊勢」:兄妹もの(妹役)
Episode 133「滋賀」:作家志望の旅行者役
Episode 136「涙のコンチェルト」:音大生(バイオリンソリスト)役
Episode 137「八丈島」:旅行者(大学生)役
Episode 138「三宅島」:旅行者(大学生)役
Episode 139「季節はずれの線香花火」幼稚園教諭・恵美子役
第1クールについては、全てのアーカイブが完了したわけではありませんが、アーカイブ済みのものに関してはライミーの出現率がかなり高いことに気がつきます。後の第5クールでライミー&ヨージシリーズが復活することを考えると、番組の初期の段階から大切にされてきたキャラクターであることがわかりますし、明るく・元気なライミーのキャラクターを作り上げた萩尾さんの功績は大きいと感じました。
【2019.03.02:管理者】
第1クール以降、番組構成の変更により消えたライミー&ヨージシリーズですが、第5クールで復活し、全15話がOAされました。ライミー&ヨージの設定については、第1クールと若干異なり、ヨージは駆け出しのカメラマンから雑誌編集者へ、ライミーはイラストレーターからフラワーデザイナーへと変更されました。また、第1クールではライミー&ヨージの本名は明らかにされていませんが、第5クールでは、シリーズの初話(No.257)から三谷洋司・三谷靖子という名前が与えられており、新婚ホヤホヤという設定です。
【2020.01.18:管理者】
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●キャスト選考について |
萩尾みどり(以下、敬称略w)は親交のあったプロダクション経由でスンナリ決まりましたが、久富惟晴は紆余曲折でしたね。“マゲもの”が本領の久富は、ひょーきんで軽いノリの「ヨージ」には少々難しいところも少なくはありませんでした。→もう、時効だと思っての暴露です。
樋口可南子はこの真田氏(脚本家)の推薦です。舟倉たまき(のち、由布子)は私が引っ張ってきました。殆んど無名でしたが、どなたかのご指摘の通りまずは声の魅力、そしてとても素直な性格が決めてでした。とてもスリムな子で、テニスが上手だったなぁ…山中湖にロケで行ったことがあるのですが(1982/11/07 高原テニスはビューティフル編) 、テニスの腕は抜群でした。帰りは確か甲府でワイナリーの取材をしたような…。
【2006.05.24:番組制作者「あいまち」氏より情報提供】
舟倉たまきは私の独断でキャスティングしました。すごく細身の女性で、東映所属でした。テニスがうまかった(河口湖ロケ)。今や大女優(冬彦妻役で大ブレーク)の賀来千賀子さんも私の一目惚れ(爆)。当時はJJのモデルでしたが、女優を目指したいという所属事務所の意向を知って、飛びついて数回出てもらいました。ご存じでしたでしょうか?声がね、ちょっとラジオ向きではない、と事務所は気にしていました。
【2013.10.18:番組制作者「あいまち」氏より情報提供】
M.O. さんからデータの提供を受け、当時のFM-Fan 誌の特集記事をアップします。
「フレッシュ・カップルが演出するちょっと小粋な日曜の朝」(jpeg 画像:別ウインドウで開きます)
第5クール:大和田獏・舟倉たまき時代のアーティクルです。
【2015.02.21:管理者】
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●番組収録時間・セットリスト(FM東京・FM大阪)の違いについて |
Message No.114 にてH.I. さんが指摘された収録時間・セットリストの東西版の違いについて、H.I. さんに詳細な検証をいただきましたので、下記に掲載します。
拝啓、日増しに寒さが募って参りましたがいかがお過ごしでしょうか。先般メールにてご連絡させて頂きました件、再度確認してみました。遅くなりましたが、その結果をご報告させて頂きます。
・No.068「信州・松本上高地を舞台にした愛の物語」
・No.074「大晦日の成田国際空港を舞台にした愛の物語」
・No.079「神戸を舞台にした愛の物語」
上記3音源については、(FM大阪版)では最終曲が入っておらず、エンディング・クレジットも無いことが確認できました。
これ以外の音源についても、
・No.075「新年を迎えた鎌倉を舞台にした愛の物語」
・No.081「奈良飛鳥を舞台にした愛の物語」
・No.085「ヨージとライミーの卒業謝恩会/ヨージ、美女の渦の中で」
上記3音源については、東版と比べると、すべて最終曲のフェードアウトが早めに行われており、時間にして約5分ほど短いことを確認。
尾中作品の音源についても
・No.026「苗場国際スキー場を舞台にした愛の物語」
この音源については最終曲、2回目の「ビー・エバー・ワンダフル」(アース・ウィンド&ファイア)がまるっと抜けていました。当初、録音の仕損ないかと思っていたのですが、ライミーの最後のセリフの後にすぐコマーシャルの断片が入ってきており、曲をカットしてCMを録音することは考えられないことから、やはり最初から入っていなかったと思われます。
・No.043「南九州の宮崎を舞台にした愛の物語」
長い間、最終曲「ザ・マッド・ハンター・ラプソディ」(チック・コリア)はインストルメンタルの曲だと思っていたのですが、東版の音源では最初に女性のボーカルが入っていたことに気がつきました。
・No.050「長野県の木曽を舞台にした愛の物語」
最終曲「コスミック・レイン」(クルセイダーズ)のフェードアウトがやはり5分早めに行われていました。ここまで来ると少し損した気分ではなく、かなり損した気分です(笑)
以上のことから、次のようなことが推測されます。
1. |
FM東京に比べて、FM大阪の方が番組当初から放送時間が約5分短かったかと思われます。FM大阪では10時55分ころからは何か他のローカル番組をやっていたのでしょうか? なお、先日のメールで、番組を録音するにあたってオープニングとコマーシャルをカットすれば、エンディングクレジットを含めて90分テープに収まる旨ご報告しましたが(FM大阪版の録音時間はいつも46?47分でした)、FM東京版ではオープニングとコマーシャル、更にはエンディングクレジットをカットしても90分テープでは録音しきれないだろうと思われます。
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2. |
大体は最終曲のフェードアウトで調整しているようです。フェードアウトで特にひどいのは No.049「九州の南に浮かぶ屋久島を舞台にした愛の物語」があります。FM大阪版での最終曲「サマー・タイム」(ドナ・サマー)は1分30秒ほどしか流れていません。そして、たまに最終曲がそっくりなくなっているパターンが存在しています。最初に紹介した No.068, 074, 079 がそれにあたります。エンディングクレジットでは萩尾みどりさんが最後の1曲を紹介する前に必ず「そして」と言うのですが、この3音源にはそれが入っていません。上記の音源以外にも No.031「港町・横須賀を舞台にした愛の物語」がそれにあたり、最終曲の「別れの曲」(サンソン・フランソワ)がフェードアウトではなく完結していますので、FM東京版ではおそらくこの曲の後に、エンディングクレジットで「そして」付きで紹介されている曲がもう一曲あったのだろうと推測されます。また、以前に No.036「桜の里・奈良県吉野を舞台にした愛の物語」でオリジナル曲が無いことが紹介されていましたが、もし「そして」が入っていないようでしたら、FM東京版の最終曲で入っていたのかも知れません。よろしければもう一度調べてみてください。 |
【2016.11.19:H.I. 氏から情報提供】
H.I. さん、詳細な検証ありがとうございました。当方でも No.028「吾妻線」の東西版のエンディング部を聴き比べてみましたが結果は次の通りでした。
最終曲の「イヤー・オブ・ザ・キャット」は、6分43秒の長尺の曲ですが、当方所有の音源では冒頭部の1分40秒程でフェードアウトがかかり、次のCMに入っています。FM東京の音源ではフルに曲が使用されており、その差約5分とH.I. さんご指摘通りの結果でした。最終曲とエンディングクレジットの間のCMはどちらも同じ「チョコフレーク」CMですので、やはりFM大阪バージョンは番組自体が東京FMバージョンより5分短かったようです。ふと思いついて、いくつかのFM誌の番組欄の切り抜きをあたってみたのですが、必要最小限の部分しか切り抜いていなかったため、「5分間の別番組」の存在はわかりませんでした。
【2016.11.23:管理者からH.I. さんへの私信】
No.036「桜の里・奈良県吉野」について、音源を聞き返したところ、ご推測の通り「そして」が入っていませんでした。生憎このエピソードについては音源が当方所有のもの(FM大阪版)しかなく、オリジナル曲の「中千本」の所在については、FM東京版の音源の発掘を待つしかないのかなと思います。同様に No.031「港町・横須賀」についても、H.I. さん所有の音源しかないため詳細は不明です。こちらも気長に情報の発掘を待ちたいと思います。
【2016.12.25:管理者】
※なお、今回、H.I. さんからこの問題に関する決定的な回答をいただきましたので、下記に掲載します。
先般はメールの返信ありがとうごさいました。
今回のお話、興味を持って頂きとても嬉しく思っています。
問題提起した以上、その番組が何なのか調べねばと思い、大阪府立図書館にて新聞のFM覧を探してみましたら、発見しました。
FM大阪では10時55分から5分間「プレシャスディスク」というタイトルの番組を放送していた様です。この番組は「愛の街から」番組当初には無かった様なのですが、1977年9月18日 No.007「神戸を舞台にした愛の物語(1)」の放送日の後に初めて書かれています。昔の記憶を辿ってみたのですがこの様な番組があった事すら憶えていません。「お気に入りの1枚」のレコードを紹介していたのでしょうか?
図書館ではFMレコパル・FMfan等情報誌のバックナンバーがないか聞いてみたのですが、関西版(西版)は国立図書館にも置いていないとの事でした。一度発売元にも問い合わせしてみます。
添付しました新聞のコピーは改めてお送り致します。001〜021, 023〜027, 029, 034の計29枚あります。よろしくお願い致します。
【2016.12.24:H.I. 氏から情報提供】
H.I. さん、今回の詳細な調査について、あらためてお礼申し上げます。5分間の別番組「プレシャスディスク」については、私もまったく記憶にありませんでした。No.036の「中千本」等の謎は残りましたが、大きな謎が解明されました。大発掘でしたね(笑)新聞のコピーについては、いただいたらこのコーナーに掲載したいと思います。
【2016.12.25:管理者】
Message No.120で H.I. さんが指摘されているように、Episode No.007「神戸を舞台にした愛の物語(1)」以降、10時55分から「プレシャスディスク」という5分間番組が新設されていました。今回いただいた新聞の縮刷版にはそれぞれ1曲ないし2曲の楽曲データが掲載されています。番組の初期については過去に A.K. さんに発掘いただいたものを除き、こうしたデータも発掘されていないため貴重な情報となります。整理が終わり次第、サイト内の「Melodies」にアップいたします。なお、データそのもののアップについては権利関係の問題から控えようと思います。
【2017.01.02:管理者】
上記データ中、1977年8月6日付けの番組表に、7日に第1回目を迎える「愛の街から」の記事がありましたので紹介します。
「
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ナマのサウンド・エフェクト(現地音)を生かして、愛と旅情を描くドラマ・シリーズ「愛の街から」(FM大阪 7日午前10:00)がスタート。ステレオ用デンスケをかついで、特急の車内アナ、駅頭ノイズ、しにせの女主人の語り・・・。第1回は仙台。続いて軽井沢、金沢へと舞台は移る。「迫力ある旅情を」と担当者」
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【2017.01.09:管理者、データ提供 H.I. 氏】
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●出演者プロフィル(レギュラー:出演順) |
久富惟晴(ひさとみ これはる:1935年3月13日 - 2015年2月11日)Wikipedia (Japanese) TV Drama Database
東京府出身の俳優・声優。武蔵大学卒業。NHKの俳優養成所第1期生で、専属俳優として数々のNHK作品に出演した後、劇団三十人会の結成に参加。初期の大河ドラマにおける常連俳優の一人である。
「愛の街から」へは、第1クール(第001話:1977.08.07 〜第139話:1980.03.30)に萩尾みどりとのペア、第2クール(第140話:1980.04.06〜第191話:1981.03.29)に樋口可南子とのペアで出演。レギュラーとしての出演は第2クールで終了したが、第5クールのプログラム最終話(第321話:1983.09.25)には、萩尾氏とのペアで再登場し、長期に渡る番組を締めくくった。なお、同氏のキャスト登用については、番組関係者からの言及がある。(本ページ:キャスト選考について)
萩尾みどり(はぎお みどり:1954年1月14日 - )Wikipedia (Japanese) TV Drama Database
福岡県出身の女優・声優・タレント。千葉大学(理学部生物学科)在学中の1974年にTBSテレビ小説「 わたしは (あき)」で主演デビュー。その後、ドラマ・舞台等に多数出演している。
「愛の街から」へは、第1クール(第001話:1977.08.07〜第139話:1980.03.30)に久富惟晴とのペアで出演。レギュラーとしての出演は第1クールで終了したが、第5クールのプログラム最終話(第321話:1983.09.25)には、久富氏とのペアで再登場し、花を添えた。 なお、同氏のキャスト登用については、番組関係者からの言及がある。(本ページ:キャスト選考について)
樋口可南子(ひぐち かなこ:1958年12月13日 - )Wikipedia (Japanese) TV Drama Database
新潟県出身の女優。1978年、女子美術大学在籍時にスカウトされ、TBSポーラテレビ小説「こおろぎ橋」で主演デビュー。以降、数々の映画・TVドラマに出演。「戒厳令の夜(1980)」では、ゴールデン・アロー小の新人賞を受賞した。
「愛の街から」へは、萩尾氏が抜けた後、第2クールで久富氏とのコンビで第140話(1980.04.06)から第191話(1981.03.29)までの52作に出演した。なお、同氏のキャスト登用については、番組関係者からの言及がある。(本ページ:キャスト選考について)
下條アトム(しもじょう あとむ:1946年11月26日 - 2025年1月29日)Wikipedia (Japanese) TV Drama Database
東京都出身の俳優、声優。 同じく俳優の下條正巳を父に、元女優の田上嘉子を母に持つ。1969年、NHK連続テレビ小説「信子とおばあちゃん」でドラマデビューを果たし、以降、テレビドラマ、映画、舞台に数多く出演している。
「愛の街から」へは、第3クール(第192話?第221話)の計30話、第4クール(第222話?第256)の計35話に出演
松阪 隆子(まつざか たかこ:1956年6月1日)Wikipedia (Japanese) TV Drama Database
神奈川県出身の女優。旧芸名・別名=松阪隆子、成城学園短期大学卒業。1984年にNHK教育テレビ趣味講座『レッツダンス』でのアシスタントや、映画「Shall We Dance?(1996)」に出演するほか、数多くのテレビドラマや舞台で活躍している。
「愛の街から」へは、第3クールから下條アトムとのコンビで、第192話から第221話の計30話に出演。なお「愛の街から」最終話=第321話(1983.09.25)以降の関わりについては、以下を参照。
『どうも10/2新番組、10/30最終回で、「愛の街から〜パリ通信/出演 松阪隆子」と言う番組が放送されていたようです。FM誌では当初番組タイトル、出演者等全て未定となっていましたので、詳細は不明です。11/6からは「FMライト・アップタウンの時間につつまれて/出演 亜蘭知子」が始まったようです』【A.K. 氏による情報提供】
その後発掘された音源(No.326)により、上記の「愛の街から〜パリ通信」のくだりが確認できたため、第322話〜第326話の5話を第6クールと認定。ただし、番組の構成が以前のクールとは大きく異なることから、後継番組「FMライト・アップタウン」への橋渡し的番組だったものと推測される。
村川美智代(経歴不詳)Wikipedia (Japanese) TV Drama Database
経歴等は不詳であるが、愛さずにはいられない(NHK : 1980))に同名での出演歴がある。
「愛の街から」へは、第4クール(第222話〜第256話)の35話に下條アトムとのコンビで出演。
三谷靖子・三谷洋司(経歴不詳)Wikipedia (Japanese) TV Drama Database
「愛の街から」へは、第5クール開始の第257話のみの出演。以降は、大和田獏・舟倉たまきにバトンタッチする。
※当時のFM誌に記載があるが、後にライミー&ヨージの本名であることが判明。実際のキャストは、大和田・舟倉が務めた。
大和田 獏(おおわだ ばく:1950年10月13日 - )Wikipedia (Japanese) TV Drama Database
福井県出身の俳優、テレビ番組司会者である。1973年放送のテレビドラマ 『こんまい女』への出演で芸能界デビュー。その際、同ドラマの脚本家・花登筺から、「夢を食べて夢のある大きな役者になれるように」という意味で「獏」という芸名を与えられた。
「愛の街から」へは、第5クールから舟倉たまきとのコンビで出演。第5クール最終話は、大和田・舟倉に加え、ゲストとして久富・萩尾ペアも出演した。
舟倉たまき(ふなくら たまき:1960年9月16日 - )Wikipedia (Japanese) TV Drama Database
長崎県出身の女優。現在の芸名は、舟倉由佑子。テレビドラマ「水戸黄門」を始め、多数の映画、TVドラマに出演。
「愛の街から」へは、第5クールから大和田獏とのコンビで出演。第5クール最終話は、大和田・舟倉に加え、ゲストとして久富・萩尾ペアも出演した。なお、同氏のキャスト登用については、番組関係者からの言及がある。(本ページ:キャスト選考について)
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●出演者プロフィル(ゲスト:出演順) |
森 蔵人(もり くらんど:1946年8月7日 - )Wikipedia (Japanese) TV Drama Database
経歴等は不詳であるが、NHK大河ドラマ「花神」新撰組隊士役、他に出演歴がある。
「愛の街から」へは、第1クールの第118話にゲストとして出演。
第118話「シリーズ/結婚まで(2)」(久富惟晴・萩尾みどり・矢崎滋)
桑原大輔(くわばら だいすけ)Wikipedia (Japanese) TV Drama Database
経歴等は不詳であるが、1981年公開の「月光仮面 THE MOON MASK RIDER」やテレビドラマ「俺たちの旅」などに出演。
「愛の街から」へは、第1クールの第123話にゲストとして出演。
第123話「いい音って思いのネ わが家のオーディオ騒動」(久富惟晴・萩尾みどり・桑原大輔)
矢崎 滋(やざき しげる:1947年9月2日 - )Wikipedia (Japanese) TV Drama Database
東京都出身。東京大学文学部英文学科中退。1968年劇団四季に入団、俳優となる。
「愛の街から」へは、第1クールの第127話にゲストとして出演。メインキャストの萩尾みどりのデビュー作「わたしはアキ」で共演している。
第127話「シリーズ/結婚まで(最終回)」(久富惟晴・萩尾みどり・矢崎滋)
青木明子(経歴不詳)Wikipedia (Japanese) TV Drama Database
経歴等は不詳であるが、特捜最前線(ANB : 1977))に同名での出演歴がある。
「愛の街から」へは、第4クールの第209話にゲスト出演。
第209話「あの日の波は消えない/わが心のビッグ・ウェンズデイ」(下條アトム・松阪隆子・青木明子)
綾瀬桜(経歴不詳)Wikipedia (Japanese) TV Drama Database
経歴等は不詳であるが、江戸を斬る IV(TBS : 1979)、江戸の牙(ANB : 1979)、噂の刑事トミーとマツ(1)(TBS : 1979)などに同名での出演歴がある。
「愛の街から」へは、第4クールの第213話と、第5クールの第231話にゲスト出演。
第213話「9時になったら・・・ユーコ、ヨーコの「9時から5時まで」」(下條アトム・松阪隆子・綾瀬桜)
第231話「ゲレンデ激突犯人を探せ!/「白い恋人たち」の季節」(下條アトム・村川美智代・綾瀬桜)
堺美紀子(経歴不詳)Wikipedia (Japanese) TV Drama Database
「愛の街から」へは、第4クールの第241・243・256話、第5クールの第268・269話にゲスト出演。
第241話「鉄の男はいま/映像に生きる男の夢」(下條アトム・村川美智代・堺美紀子)
第243話「カンパリで乾杯/愛の芽生えは「ローマの休日」」(下條アトム・村川美智代・堺美紀子)
第256話「アイ・ワナ・ビー・ティーチャーズ・ペット/「先生のお気に入り」で困っちゃう」(下條アトム・村川美智代・堺美紀子)
第268話「恋に幼い私の兄は」(大和田獏・舟倉たまき・堺美紀子)
第269話「秋へのプレリュード」(大和田獏・舟倉たまき・堺美紀子)
津山栄一(つやま えいいいち:1958年4月12日 - )Wikipedia (Japanese) TV Drama Database
大阪府出身。大阪芸術大学卒業。小学校3年生の時(1967年)から、本名で子役として俳優活動を開始。戦隊ものや必殺シリーズ等のテレビドラマで活躍。現在は引退し、ログビルダーを営む。
「愛の街から」へは、第5クールの第272話にゲストとして出演。
第272話「カレとの出会いにときめいて」(大和田獏・舟倉たまき・津山栄一)
嶋めぐみ(経歴不詳)Wikipedia (Japanese) TV Drama Database
経歴等は不詳であるが、俺たちの旅(NTV : 1975)、特捜最前線(ANB : 1977)、Gメン '75(TBS : 1977)、太陽にほえろ!(NTV : 1977)などに同名での出演歴がある。
「愛の街から」へは、第5クールの第274・275・283・296・305・318話にゲスト出演。 なお、同氏のゲスト登用については、番組関係者からの言及がある。(本ページ:ゲスト出演者について)
第274話「白いクジャクは恋の色」(大和田獏・舟倉たまき・嶋めぐみ)
第275話「ライミー・ヨージ・シリーズ(5)高原テニスはビューティフル」(大和田獏・舟倉たまき・嶋めぐみ)
第283話「ライミー・ヨージ・シリーズ(7)ライミー・ヨージの新婚、旧婚、独身それぞれのお正月」(大和田獏・舟倉たまき・嶋めぐみ)
第296話「ライミー・ヨージ・シリーズ(10)サブタイ不明」(大和田獏・舟倉たまき・嶋めぐみ)
第305話「ライミー・ヨージ・シリーズ(12)結婚記念に赤い車を」(大和田獏・舟倉たまき・嶋めぐみ)
第318話「ライミー・ヨージ・シリーズ(15)ライミー・ヨージ二世誕生」(大和田獏・舟倉たまき・嶋めぐみ)
谷川みゆき(たにかわ みゆき:1960年12月15日 - )Wikipedia (Japanese) TV Drama Database
千葉県成田市出身。堀越学園卒業。1976年に映画『エデンの海』でデビュー。清純派女優として幾多のテレビドラマ・映画で活躍したが、1990年代以後は成人向けのVシネマにも出演。全映テレビタレントセンター(タレント養成所)出身[1]。同センターの出世頭である 。
「愛の街から」へは、第5クールの第288話にゲストとして出演。
第288話「ライミー&ヨージシリーズ(8)・帰ってきたスーパー・レディ」(大和田獏・舟倉たまき・谷川みゆき)
大和田伸也(おおわだ しんや:1947年10月25日 - )Wikipedia (Japanese) TV Drama Database
福井県出身の俳優で大和田獏の実兄。 劇団四季を経て、NHK連続テレビ小説『藍より青く』で知られるようになる。
「愛の街から」へは、第5クールの第289話にゲストとして出演。兄弟協演となる。
第289話「夢と消えたいつわりの恋」(大和田獏・舟倉たまき・大和田伸也)
里見 和香(さとみ わか:1958年5月21日 - )Wikipedia (Japanese) TV Drama Database
東京都出身の女優。本名は橋本 和香。1979年、東映所属の女優としてデビュー。結婚前は、主に特撮番組や時代劇に出演していた。現在も会社経営の傍ら、女優・タレント活動も続けている。
「愛の街から」へは、第5クールの第297話にゲストとして出演。
第297話「恋愛・結婚・乙女の夢」(大和田獏・舟倉たまき・里見和香)
麻茶れい(経歴不詳)Wikipedia (Japanese) TV Drama Database
経歴等は不詳であるが、翔んだカップル(CX : 1980)、母の証言(NTV : 1985)、いじわる看護婦(2)(CX : 1985)、ザ・ハングマン(ABC : 1986)、はね駒(NHK : 1986 )、庭つき一戸建て殺人(KTV : 1988)に同名での出演歴がある。(テレビドラマデータベース)
「愛の街から」へは、第5クールの第304話にゲストとして出演。
第304話「出逢いと別離、二人の竹取物語」(大和田獏・舟倉たまき・麻茶れい)
清水 めぐみ (しみず めぐみ:1957年6月29日 - )Wikipedia (Japanese) TV Drama Database
経歴等は不詳であるが、遠山の金さん(NET : 1985)、事件ファイル110甘ったれるな(TBS : 1976)、夫婦旅日記 さらば浪人(CX : 1976)、さくらの唄(TBS : 1976)などに同名での出演歴がある。(テレビドラマデータベース)
「愛の街から」へは、第5クールの第308話にゲストとして出演。
第308話「浮気心にご用心」(大和田獏・舟倉たまき・清水めぐみ)
賀来千香子(かく ちかこ:1961年10月17日 - )Wikipedia (Japanese) TV Drama Database
大阪府出身の女優。女子美術大学付属高校3年生の時、東京・原宿でモデルとしてスカウトされる。女子大生時代になると雑誌『JJ』などにモデルとして出演。女優デビューは、1982年(昭和57年)、TBSドラマ『白き牡丹に』。以後『少女に何が起ったか』『男女7人夏物語』など同局のヒットドラマに出演。
「愛の街から」へは、第5クールの第310・316話にゲストとして出演。 なお、同氏のゲスト登用については、番組関係者からの言及がある。(本ページ:ゲスト出演者について)
第310話「6年目のトライアングル」(大和田獏・舟倉たまき・賀来千香子)
第316話「先輩・後輩・社内恋愛」(大和田獏・舟倉たまき・賀来千香子)
鳥居 恵子(とりい けいこ:1951年7月19日 - )Wikipedia (Japanese) TV Drama Database
東京都生まれの女優。潤徳女子高等学校在学中に日活の元女優であった母が同社の俳優を介し卒業と同時に石原プロへ所属。1970年に映画『裸の十九才』でデビュー。以降はテレビドラマを中心に活動する一方、着物のモデル業も務める。
「愛の街から」へは、第5クールの第315・319話にゲストとして出演。
第315話「懐かしき下町慕情」(大和田獏・舟倉たまき・鳥居恵子)
第319話「夫婦ゲンカはどんな味?」(大和田獏・舟倉たまき・鳥居恵子)
久富惟晴(ひさとみ これはる:1935年3月13日 - 2015年2月11日)Wikipedia (Japanese) TV Drama Database
東京府出身の俳優・声優。武蔵大学卒業。NHKの俳優養成所第1期生で、専属俳優として数々のNHK作品に出演した後、劇団三十人会の結成に参加。初期の大河ドラマにおける常連俳優の一人である。
「愛の街から」へは、第1クール(第001話:1977.08.07〜第139話:1980.03.30)に萩尾みどりとのペア、第2クール(第140話:1980.04.06〜第191話:1981.03.29)に樋口可南子とのペアで出演。レギュラーとしての出演は第2クールで終了したが、第5クールのプログラム最終話(第321話:1983.09.25)には、萩尾氏とのペアで再登場し、長期に渡る番組を締めくくった。なお、同氏のキャスト登用については、番組関係者からの言及がある。
萩尾みどり(はぎお みどり:1954年1月14日 - )Wikipedia (Japanese) TV Drama Database
福岡県出身の女優・声優・タレント。千葉大学(理学部生物学科)在学中の1974年にTBSテレビ小説「 わたしは (あき)」で主演デビュー。その後、ドラマ・舞台等に多数出演している。
「愛の街から」へは、第1クール(第001話:1977.08.07〜第139話:1980.03.30)に久富惟晴とのペアで出演。レギュラーとしての出演は第1クールで終了したが、第5クールのプログラム最終話(第321話:1983.09.25)には、久富氏とのペアで再登場し、花を添えた。 なお、同氏のキャスト登用については、番組関係者からの言及がある。
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●選曲について |
私はスタート当初は主に「選曲」と取材が主な役割でした。Bozの「Downright Woman」はなかなかのモノだった、と自負してマスw。どちらかと言えば、洋楽は感覚や雰囲気重視でスッ決まることが多く、実際に曲を聞かずに記憶に頼って決めたものも多いのですが、邦楽(今で言うJ-POPS)の場合はドラマゆえに歌詞の内容まで考慮しなければならず、苦労しました。1曲が決まらずに数時間、時に何日もかかったこともあります。
【2006.05.24:番組制作者「あいまち」氏より情報提供】
当時の番組には必ず「CUE SHEET」というものがありました。ここには番組の流れを記入するようになっていて、タイミングとCMや挿入曲などがひと目で分かるようになっていました。曲については著作権リポートの関係から必ず明記しなければならなかったので、これがあれば各回の使用音楽がすべて分かるのです。私も結構長いことこれのコピーを束ねたファイルを持っていたのですが、当然(!)現在は残っていません。Perry Botkin Jr.とかJoe Sampleなどはその頃のお気に入りで良く使いました。個人的には大のプログレ・マニアだったので、日の出のシーンのThe Enidなど今でも記憶に残るものがあります。本領は「Space Fusion」という深夜番組でガンガンやりました(笑)。
【2006.12.09:番組制作者「あいまち」氏より情報提供】
オープニング曲は企画変更の度、変えました。直接の担当者(選曲者)でありながら、情けないことにもう忘れてしまいました。当事(と言っても、かなり長期ですが)好んで使っていたのはJoe Sample, Noel Pointer, Karapana, Boz Scaggs, Billy Joel, Al Jarreau, Patti Austin, 大野雄二, Bertie Higgins, Michael Franks…いわゆる当時のキャッチで言うところの「Mellow Sounds」でした。
「Michelangelo」は、実はあまり好きではなかったJose Felicianoの曲だったと記憶していますが、アレは文句なしの名曲です。偶然見つけて、感動してしまいました。インストだから、余計良かったのかも。
【2007.04.15:番組制作者「あいまち」氏より情報提供】
選曲は私が中心でしたが、ディレクターのU氏がまだバリバリの一線で活躍していたので、彼の好みでイージー・リスニング系やミュージカル、ジャズ・ピアノなどが時々使われた次第。プレスリーなんて、私は絶対使いたくなかった!
【2013.10.18:番組制作者「あいまち」氏より情報提供】
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●脚本家について |
脚本の尾中洋一氏はとても繊細にしてアカデミックな方で、ちょっと芸術家肌。個人的に好きだった「プログレ系」の音楽も時々合わせましたね。佐山透氏はゴルフと酒が大好物の、明るく行動的な方。「あいまち」後はカリフォルニアに居を構えて、ゴルフ専門誌などに執筆されていました。他に「真田喜助」なるニックネームで骨太の脚本を書かれていた某キー局プロデューサー、TVでの活躍が多かった女流脚本家の「塩田千種」氏など。
【2006.05.24:番組制作者「あいまち」氏より情報提供】
初代の尾中洋一さんが第一回から52回まで、ずっと変わらずです。 二代目の佐山透さんが、その後ずっとになります。
【2007.08.14:番組制作者「その2」氏より情報提供】
M.O.氏より提供を受けた音源(No.298:冬のドイツのメルヘンを)上で、過去に「あいまち」氏よりお寄せいただいた情報にもありました「脚本家:塩田千種氏」のクレジットが確認できました。尾中氏・佐山氏に続き、3人目の脚本家の存在が明らかになったわけですが、脚本家については、過去に情報をいただいた番組関係者の中でも情報が錯綜している部分もあり、このあたりも少しずつ判明していくのかなと期待しています。
【2012.10.21:管理者】
尾中さん、佐山さん、次が真田喜助さん、そして塩田さんという順でした。真田さんは完全なHNで、実は某TVキー局のプロデューサーでした。塩田さんは女性。その後TVの2時間ドラマなどを多く手掛けられました。
【2013.10.18:番組制作者「あいまち」氏より情報提供】
脚本家については、以前、番組関係者の方、そして第3クール以降の音源を所有している K.T. さんが示唆している通り、複数の脚本家の存在が明らかになりました。これまで佐山時代と捉えていた部分、第3クール以降、特に第5クールで頻繁に脚本家の交替がありますが、佐山氏から他の脚本家への完全なバトンタッチということでもないようで、同氏は要所要所で再登場します。今回のリストで判明した分では、ライミー・ヨージ・シリーズは全て同氏が手がけています。ヨージの名付け親だけあって、このキャラクターに強い愛着を感じていたことが推測されます。脚本家については、第2クール以降のアーカイブがまだ手つかずですので、今後また明らかになる部分が多くありそうです。
真田喜助氏については、TVドラマデータベースで名前がヒットしました。1975.09.06〜1976.02.28にフジテレビ系列でオンエアされた「新宿警察」の脚本を担当していたようです。更に辿っていくと新宿警察(Wikipedia)に興味深い記述が。なんと、このドラマでは尾中氏も5話脚本を担当しています(!)が、その内の2話で尾中・塩田両氏(第7話:OA1975.10,18)、尾中・真田両氏(第9話:OA1975.11.01)の名前が脚本家として並記されています。塩田・真田両氏の「あいまち」への登場は佐山氏登場以降のことですので、「愛の街から」の初回放送(1977.08.07)以前に尾中氏とも関連性があったことは新たな発見でした。他の脚本家については不明な部分が多いのですが、追々明らかになればと思っています。
【2016.02.03:管理者:情報提供 K.T. 氏】
脚本家について、現時点で判明しているデータをまとめました。
◆第1クール◆
No.001〜052までが尾中洋一、No.053~139までが佐山透との関係者からの情報もあるが、No.123では真田喜助が起用されていることから。この3者以外の脚本家が存在した可能性もある。
◆第2クール◆
当初のデータでは佐山透がとなっているが、発掘された音源が少ないため、全貌は不明である。
◆第3クール◆
メインの佐山透に加え、真田喜助が数話を担当した。このクールに関しても発掘音源が少なく全貌は不明である。
◆第4クール◆
メインの佐山透に加え、とりいみきお、塩田千種、真田喜助が数話で起用されている。このクールに関しても、発掘音源が少なく全貌は不明である。
◆第5クール◆
クールの初期から、佐山透、塩田千種、とりいみきお、真田喜助、ささだいずみの5名が交替で務めているが、佐山透については、後半はライミー&ヨージシリーズのみの執筆となった。
◆第6クール◆
1話分(No.326:最終話)については佐山透の名前が確認されているが、他は不明である
【2020.01.18:管理者】
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●ゲスト出演者について |
嶋めぐみは、とっても明るくて楽しいキャラでした。後に全国的に知られるようになった「賀来千香子」はまだJJモデル時代に、私の“個人的好奇”から何度かゲストで出てもらいました。いつも超ぉミニで来てくれて(?)、我々スタッフを喜ばせてくれました。あの独特のしゃがれ声がラジオ向きではない、と所属プロの社長さんは気にしていましたが。
【2006.05.24:番組制作者「あいまち」氏より情報提供】
100回目、「マガンダがやってきた」という回ですが、この「マガンダ」とはタガログ語で「可愛い女の子」という意味。フィリピンから可愛い女の子が来た、という内容なのですが、この女の子が、実は今のマリーンです。当時は、アイドル的なシンガーで、名前も「マリリン」と名乗っておりました。
【2007.08.14:番組制作者「その2」氏より情報提供】
舟倉たまきは私の独断でキャスティングしました。すごく細身の女性で、東映所属でした。テニスがうまかった(河口湖ロケ)。今や大女優(冬彦妻役で大ブレーク)の賀来千賀子さんも私の一目惚れ(爆)。当時はJJのモデルでしたが、女優を目指したいという所属事務所の意向を知って、飛びついて数回出てもらいました。ご存じでしたでしょうか?声がね、ちょっとラジオ向きではない、と事務所は気にしていました。
【2013.10.18:番組制作者「あいまち」氏より情報提供】
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●オンエアテープについて |
残念ながらオリジナルの10inch2truck38cm/secで録音したオープンテープは、恐らく一本も残ってはいないでしょう。放送中から数ヶ月前のオンエアテープを再利用(つまり、消去)していたワケですから。私自身、放送終了後しばらくはかなりの数のテープを持っていましたが、それも引越しや年月の経過と共に破棄してしまったと思います。皆様お持ちのカセットは、本当に貴重なものだと思います。
【2006.05.24:番組制作者「あいまち」氏より情報提供】
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●収録の様子 |
録音は当時東京・西新宿のKDD(現KDDI)ビルの31階に間借りしていたエフトー(FM東京)のスタジオで基本的には1回で2本分を収録していました。セリフのみ、もしくはSE(Sound Effect=効果音)を絡ませての“素録り”が多かったです。理由はかなり手間のかかる作業だったため、頭からの“完パケ”での流し録りはムリが多かったため。
【2006.05.24:番組制作者「あいまち」氏より情報提供】
事前に作家の方と相談して、こんな音が欲しいとか、こんな話を聞いてきてくれ・・など、まだ構想もない状態でのオーダーがありました。こちらが勝手に取ってきた音を使ってもらったことも多々ありました。伊良湖の波音は、良かったなぁ(笑)。冒頭の鐘の音は、レコード室にあったSE音源シングル盤の中から選びました。
【2013.10.18:番組制作者「あいまち」氏より情報提供】
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●ロケ・取材について |
函館は確か現地取材ナシだったと記憶しています。北海道で実際に現地に行ったのはニセコ(スキー)だけだったような…
【2007.04.15:番組制作者「あいまち」氏より情報提供】
(前略)少し前に(極貧で有名な・爆)萩尾さまとテニスに行った時の写真などが出てきて、涙、涙…って、もちろん番組取材でしたけど。
九州と南西諸島の取材時に、行きは宮崎の日向までフェリー(タイアップ!)に乗ったのですが、イザ船長にインタヴューというときになって私めが船酔い(ゲッ)。。。私の担当だったのにとても話を聴くどころの騒ぎではなく、ソッコーキャビンに逃げ戻り、T.S.くんが代わってくれたのでした。お陰でその後は平穏な船旅になりました。(後略)
【2007.08.10:番組制作者「あいまち」氏より情報提供】
舞台となった街は、実際に取材に出かけたところとそうではないところがあります。私自身は北海道(テイネ。札幌はやったかな?)九州(川崎〜日向のフェリー、宮崎、鹿児島)四国(高知、徳島)などが印象的でした。
マニラ取材では、今も現役のジャズ歌手マリーン(当初はマリリンと言っていた)の実家を取材したんですよ。豚の丸焼きをご馳走になりました。映画会社の売り込みでドラマ化した「愛と哀しみのボレロ」は、試写会見るのがしんどかった・・。
【2013.10.18:番組制作者「あいまち」氏より情報提供】
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●喫茶店のマスターについて |
例のいつもの喫茶店のマスター役は、当事の萩尾のマネージャーだったんですよ。このヒト、結構芸達者で“出たがり”だったので、ギャラなしの特別出演でした。
【2006.05.24:番組制作者「あいまち」氏より情報提供】
二人がいつも会っていた喫茶店のマスターは、番組初期は久富惟晴さんの二役だったようで、この時期のマスターは重厚な雰囲気を醸し出しています。萩尾氏のマネージャーへのバトンタッチは、正式な日付は定かではありませんが、手元の音源では、No.033の「春を迎えた奈良」が初出(マスター役)です。マスター以外の配役で遡ると、手元にある最古の音源、No.029の「吾妻線」での旅館のフロント役ということになります。いずれもワンポイントの出演でしたが、その演技の才能が認められたのか(笑)以降のエピソードでは徐々に出番が増えていきます。
【2007.12.02:管理者】
今回(No.104:猫騒動)のエピソードで、喫茶店のマスターが年齢設定が判明しました。
マスター:「買い出しだなんて、終戦直後のことを思い出すなあ」
予想以上に年配の設定でちょっと驚きました。初期の久富さんが演じた重厚なマスター役なら合点がいったのですが・・・。。
【2018.01.13:管理者】
No.105「金沢を舞台にした愛の物語」で第1クールでの喫茶店の設定は終わりましたが、第5クールの初話(No.257)でライミー&ヨージシリーズの再開と共にいつもの喫茶店が復活。マスター役にはなんと第1クールで活躍した萩尾氏マネージャーが再登場し、懐かしい声と味のある演技を披露しています。第5クールでライミー&ヨージシリーズは全15話OAされましたが、第1クールと同じく、件のマネージャー氏は正式にクレジットされることはありませんでした。
【2020.01.18:管理者】
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●喫茶店・外交官通りについて |
二人がよく会っていた喫茶店の場所ですが、EPISODE No.059「港区・芝」にこんなくだりがあります。
ライミー:「・・・ねえ、なかなかいいお店でしょう。私、毎日一回はここに来るんです」
謎の紳士:「うん、落ち着ける店だなあ。原宿ってのは近頃騒々しいだけのところかと思っていたよ」
ライミー:「それが案外ねえ、こうして静かで落ち着いて、いかにも日曜の朝って感じでしょう?」
謎の紳士:「知らなかったなあ。私が知っている原宿にはこんな店はほとんどなかった。」
エピソードにより設定が異なっている可能性もありますが、本エピソードでは喫茶店は原宿にあるということになっています。「松本・上高地」の喫茶「まるも」などの例外はありますが、番組中では特定の固有名詞に言及するケースはあまりないようです。
【2007.12.02:管理者】
またEPISODE No.033「奈良」には下記のライミーの台詞があります。
「 |
教会の鐘の音が聞こえて、外国大使館が並んでて、赤い煉瓦のペーブメントのある通り。東京の山の手のこんな外交官通りにも、きっと万葉集をたどるような男と女のドラマがあるはず。(ため息をついて)はあ、君とじゃ無理だけど」 |
さらに、EPISODE No.070「中央高速道」には次のようなくだりもあります。
「 |
たまに都心に出る客を乗っけたりして、その後、空車になったりすると、自分でも知らないうちに原宿に車を走らせてるんですよね。それで、ライミーとよく会ったあの喫茶店の前に車を止めてね、いや、中に入りはしませんよ。表に止めてぼんやりしているだけなんです。ぼんやり喫茶店の白いドアを見ながら『あの頃は楽しかったな』なんてね、(苦笑して)未練な男ですよ、私も。あのときもそうやっていたんです。原宿の例の喫茶店前に止めていたんだけど・・・」 |
【2007.12.08:管理者】
新たに提供いただいたEPISODE No.029「吾妻線」には、次のような言及があります。
「 |
ああ、随分吹雪いてきましたね。まさか東京の山の手で、しかも外交官通りでこんな吹雪を見るなんて、想像もしませんでした。吹雪というのは、やはり山村の、そうですね・・・」 |
上記のNo.033「奈良」と同様の設定のようです。
【2012.10.14:管理者】
新たに提供いただいたEPISODE No.070「中央高速道」には、次のような言及があります。
「 |
あ、私の家は世田谷なんですけど、原宿の喫茶店で大学時代の友だちと会う約束してるんです」 |
|
|
「 |
ふふふ、でも、だんだん慣れました。こんなことにオロオロしているからいつまでも学生気分が抜けないって言われるんですわ。あ、そこの喫茶店なんです! あの白いドアのある・・・ |
「 |
そんなことがきっかけで、ライミーとはときどき会うようになりました。会社のそばじゃみんなの目がうるさいから、主に原宿の喫茶店でね。ほら、さっき言ったでしょう? 雨の日に彼女を送っていったあの白いドアの喫茶店。会社の帰りなんか、よくあそこで待ち合わせるようになったんです」 |
【2012.10.27:管理者】
Episode No.026「苗場」でも喫茶店の場所については、No.29「吾妻線」、No.33「奈良」同様、「外交官通り」との言及があります。
「 |
見て! 雪よ。外交官通りに雪が降ってるんだ!」
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【2014.01.15:管理者】
Episode No.041「川崎から日向に向かうフェリーでは、次のような言及があります。
「 |
東京の山の手。僕らが勝手に名づけた「外交官通り」。たくさんの外国大使館があって、教会があって、赤いレンガのペーブメント。そして、ガラス張りの中二階の喫茶店。ライムエードをライミーと注文できる店。もうすぐ原宿からここへ若者たちの街は移るだろう。こんな街から僕らは出ていく。自分たちの作ったものをもし惜しげもなく捨てられたら・・・ |
「 |
あの二人が元気よくこの喫茶店を出てから丸一日が経ちました。・・・(中略)・・・。そして、このたくさんの外国大使館があって、教会があって、赤いレンガのペーブメント。ガラス張りの中二階の喫茶店には、また来週から新しいライミーと恋人が現れる。私にはまたそれがとても大きな喜びです。それではまた来週、愛の街で」 |
アーカイブ済みのエピソード中にもしばしば現れる「外交官通り」。過去何回か検索するも思うような結果が得られず、「当時流行った一時的な呼称なのかな」と思っていましたが、登場人物{=脚本家の尾中洋一氏)による命名だったようです。謎がまた一つ解けました。また、喫茶店の描写については、「ガラス張りの中二階」との言及があります。過去のエピソードでも喫茶店の位置や様子に触れたものが数話ありますが、これほど具体的に描写されたのは初めてです。喫茶店については実在のモデルがあり、ひょっとしてそこは脚本家の尾中氏がよく訪れた店なのかなどと想像しています。
【2014.02.15:管理者】
Episode No.046「鬼界ヶ島」にも上記と同様の記述があります。
「 |
外国大使館が並んでて、教会の鐘の音が聞こえる赤いペーブメントの道、そしてガラス張りの中二階の喫茶店。そこであなたと出会って、二人で勝手にこの通りを外交官通りと名付けた・・・ |
【2015.01.24:管理者】
新たに提供を受けた Episode No.028「あるバレンタインの物語」に外交官通りについて詳細な描写がありました。
『 |
幸雄さん、私は今、外交官通りにいます。知ってますか? 外交官通り。渋谷の駅前から国道246号線、そう、246を世田谷方面に上ってくると山手通りと交差するでしょ?その四つ角を左に折れて、代官山方面に歩いていってください。巨人軍の長嶋監督が結婚式を挙げた有名なセント・ドミニコ会修道院の渋谷カソリック教会があります。その角を左に入るとわが国の先の太政大臣のお宅があって、コスタリカ大使館、フィリピン大使館と続きます。そこを曲がらずに真っ直ぐ代官山の方へ歩いていくと、すぐマレーシア大使館です。ここの国旗、私好きなんです。三日月とお星様を模った国旗。そこを通り過ぎてしばらく行くと、アラビア文字の看板が出ているイラク大使公邸、エジプト大使公邸、イラク大使館。ちょっと青葉台の方へそれてくださるとエジプト大使館と続くんです。ここは日本でありながら日本でない。ふと異次元の世界に彷徨いこんだ気がするところです。この通りを勝手に外交官通りと名づけたのは、私、ライミーです(以下略)』
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『 |
ここは代官山アパートのあるところです。外交官通りからちょっと奥に入ったところに古びたコンクリート・・・。こういうの何て言うの? 粉をまぶせたようにザラザラした肌触りの石造りの本当に古い文化アパート。(中略)代官山アパートの隣に代官山食堂という定食屋さんがあります。昼食は2時までしかやっていなくて、しかも、定食は180円なんです。信じられて? 外交官通りの裏にある食堂なのよ、これが。(以下略)』
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「 |
ああ、しかし洒落た喫茶店が一杯あるんだなあ、この通り。ええ、ここスゲェな。でも本当にどこ行っちゃったんだよ、ライミー。ああ、とうとうレンガ屋のとこまで来ちゃったよ。外交官通りの行き止まりじゃん、ここ。(以下略)」
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『 |
外交官通りにはもう一つ本物があります。代官山食堂で私を掴まえそこねたあなた、ここでは必ず私を見つけてください。ここは猿楽塚。瀟洒な喫茶店や子ども用品の店や奥に高級マンションのある一群にこんもりした築山があります。ここは六〜七世紀ころの円墳。円墳ってわかりますよね? あなたは早稲田大学史学科ですもの。古墳の跡なのです。(以下略)』
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【2015.09.20:管理者】
実は先日休みを利用して東京に行き、実際どういう場所なのか知りたくて代官山を歩いて見ました。
「外交官通り」今で言う「旧山手通り」は若者も老夫婦も気楽に歩ける洒落た街並みでした。犬を連れて散歩される方も見受けられ、ここが本当に東京の真ん中の町なのかなと思うくらいでした。
既にアーカイブされたのを読んでいて気がついたのですが、何と尾中氏の最後の作品「飛騨高山」に代官山の外交官通りのくだりが出てきています。それによると、
「 |
世田谷方向に500mくらい上ってくるの。そう四つ角になってるから、そこを左に折れて代官山の方へ。ええ、そこがもう外交官通りなの。うん、そう、向かって右側の赤いレンガのペーブメントがあって、ガラス張りの中二階の喫茶店よ。周りが外国大使館ばっかりだし、すぐわかるわ」
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つまり、246号線の神泉町の交差点を南に向かって道の右側の歩道沿いに喫茶店があったということになります。その間約1km程なのですが、それらしい建物は確認できませんでした。ただそこでびっくりするような発見を。その道沿い、レンガ屋のあったヒルサイドテラスのある少し手前に「ミケランジェロ」と言う名のカフェを見つけました。ライミーが本物の話をする時にかかる曲と同じ名前です。平屋の建物なのですが何という偶然でしょう。
【2015.09.21:H.I. 氏より情報提供】
80話でライミーが「原宿に二人がよく行く喫茶店があるの」・・・この喫茶店って何処にあるのでしょうか?・・・76話でライミーが出版社の人に「自由が丘ですから1時間もあればそちらに着くと思います」と電話で話していました。69話でライミーがヨージに「私は地下鉄よ」と東横線渋谷駅から地下鉄銀座線に乗り換えて出版社に向かいました。76話でヨージが「ライミーが仕事の後ほっとしてお茶を飲む店ってここしかないんだから」と話していました・・・ここから私の勝手な妄想ですが・・・自由が丘のマンションから1時間以内の出版社だと地下鉄銀座線で15分位の銀座駅付近の出版社から自由が丘への帰り道に立ち寄る喫茶店とは??? もしかしたら、この喫茶店は国鉄山手線原宿駅付近よりも地下鉄銀座線表参道駅から原宿駅方向にあった神宮前4丁目辺りにある喫茶店だと妄想します(笑)
【2019.01.15:K.G. 氏より情報提供】
第1クールでの喫茶店の設定は No.105「金沢を舞台にした愛の物語」で最後となりました。このエピソードではいつもの喫茶店の取り壊しが急に決まり、新築のテナントビルに移転するという事実がマスターから語られました。ストーリーの核心部分とは全く脈絡のないエピソードの挿入に違和感を感じたのですが、実際にこれ以降のエピソードでは喫茶店でのシーンは登場しませんでした。ライミー&ヨージシリーズはこの後も散発的にOAされたことから、何らかの理由があって脚本家(佐山透氏)が意図的に設定を終了したものと思われます。
喫茶店については、その後、第5クールの初話(No.257)でライミー&ヨージシリーズの再開と共に復活しますが、驚いたのはマスター役です。第1クールで活躍した萩尾氏マネージャーが再登場しました。
【2020.01.18:管理者】
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●OPテーマ曲 |
久富・萩尾時代のOP曲は、ボズ・スキャッグスの「ダウンライト・ウーマン」
【2006.04.26:いそろく氏】
(オープニング曲については)何曲かあったと思います。東京FMに問い合わせましたが当時の資料がなくわからないと言われました。初めの頃はフランクミルズの曲(ピアノ:管理者注:ラヴズ・ライク・ザット)が使われていました。途中、女性ボーカル(英語の曲)もあったと記憶しています。
【2006.06.24:H.Y.氏】
下条アトム時代のOP曲は、石川鷹彦さんのデイ・ブレイクです。 細野晴臣さんなどの参加したエーゲ海というLPに収録されていました。 CD化はされていないようですがネットでデータを購入できるようです。
【2006.07.25のレス】
たまたま、昔の荷物を開いたところ、1982年9月21日号の「FM fan」が出てきて、その中に偶然なのですが「FM番組テーマ曲」というものがあり、当時の「愛の街から」のOP曲として、惣領泰則とイブ「トレンブル・ウィズ・デライト」が載っていました。サンプル曲を確認しましたが、間違いなく大和田獏・舟倉たまき時代のOP曲です。
【2019.02.27:T.S. 氏】
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●オリジナル曲 |
この番組の特徴として、平部やよい、道志郎、沖浩一といったオルガン(エレクトーン奏者)の作品が要所要所で使用されており、雰囲気作りに一役買っています。FM誌には、沖浩一(el-or,テープ使用)等のクレジットがありますから、ひょっとして書き下ろしだったのかななんて推測しています。だとしたら、何と贅沢な作りの番組だったんでしょうか。ちなみに、ネットで検索したところ、先の三氏はその世界では大御所のようです。
【2005.05.15:管理者】
以前ライミー&ヨージさん(注:管理者)が番組中のエレクトーン演奏に触れられていまして、今回番組を調べていても、確かに多くのテープ使用がありました。そこで平部やよいさん本人にメールして聞いてみましたが、当時学生で、テーマやイメージが送られてきたものを、週末に殆ど即興で演奏し録音されていたそうです。本数も多かったものの録音は何も残っていないそうです。
【2006.04.09:A.K.氏より情報提供】
番組へのオリジナル曲提供者(判明分)は下記の通りです。
武田一熙(Episode 003, 004)
道志郎氏(Episode 024, 029)
沖浩一氏(Episode 032, 033, 037, 038)
平部やよい氏(Episode 055, 056, 057, 059, 060, 061,062, 063)
田中裕美子氏(Episode 068)
柏木玲子氏(Episode 070, 076 )
なお、武田一熙氏については、以前A.K.さんから提供を受けた劇中曲データの中に「ヨットのライミー(Episode 004)」とあったことから、Episode 003の「医王山」も合わせてオリジナル曲であると推測しました。登場時期から判断すると初代のオリジナル曲提供者の可能性が高いということになります。他の四氏の演奏はエレクトーン主体の楽曲ですが、武田氏の曲については音源がないため、演奏スタイルは確認できません。ネット上での検索でも氏の名前は残念ながらヒットしませんでした。
【2007.12.02:管理者】
エレクトーンやピアノのオリジナルは、実はYamahaとのタイアップ。個人的には番組にそぐわないと感じていました。
【2013.10.18:番組制作者「あいまち」氏より情報提供】
現時点(2019.03.02)での番組へのオリジナル曲提供は下記の通りです。
○第1クール全139話中、アーカイブ済み110話、未アーカイブ29話。
●音源にて存在が確認されたオリジナル曲64曲、音源未確認(文字データのみで確認)のもの4曲。
★オリジナル曲提供アーティスト(出現順)
武田 一熙氏:02曲
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(003,004) |
道 志郎氏:03曲
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(024,026,029) |
沖 浩一氏:13曲
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(030,031,032,033,034,035,036,037,038,040,048,050,051) |
小熊 達弥氏:11曲
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(039,041,042,043,043,044,045,046,047,049,053) |
平部やよい氏:26曲
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(052,054,055,056,057,058,059,060,061,062,063,066,080,081,082,084,085,088, |
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094,101,105,106,108,109,110,114) |
田中裕美子氏:01曲
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(068) |
柏木 玲子氏:07曲
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(069,070,071,072,073,075,076) |
松田 昌氏:05曲
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(091,093,095,104,107) |
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以上、音源未確認4曲含む。
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オリジナル曲については、114話の平部やよい氏による「ラ・ヴィ・ダムール」以降は使われなくなります。第1クールの前半は音源未発掘のものが多いのですが、比較的初期からエレクトーン奏者による提供曲があったことから、今後の発掘次第では、竹田・道両氏の曲が発見される可能性が高いと思われます。
【2019.03.02:管理者】※オリジナル曲一覧(クリック後、下部のサブメニューより「ORIGINALS」を選択)
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●最終回(第321話)以降の番組 |
さて1983/10/2からこの時間帯がどうなったか、どうも10/2新番組、10/30最終回で、「愛の街から〜パリ通信/出演 松阪隆子」と言う番組が放送されていたようです。FM誌では当初番組タイトル、出演者等全て未定となっていましたので、詳細は不明です。11/6からは「FMライト・アップタウンの時間につつまれて/出演 亜蘭知子」が始まったようです。
【2006.04.22:A.K.氏より情報提供】
第6クール最終回(No.326)のエンドクレジットに後継番組の紹介がありました。
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♪トレンブル・ウィズ・ディライト(惣領泰則&EVE) 
柔らかな季節の香りとともにパリから届いた一通の手紙。愛の街から、パリ通信。お届けした曲は、シャドウズ・イン・ザ・ウィンド(ティム・ワイズバーグ)、パフュームド・ガーデン(ラー・バンド)、朝が来るまで(ロバータ・フラック)、アイ・ラブ・パリ(オットー・ユルゲン)、ユー・アー・ザ・マン、枯葉(デヴィッド・スピノザ)、リフレクションズ(ローレンス・ファン・ルーエン)、訳もなく(エルベール・レオナール)、ヨーロピアン・ラブ・ソング(オリビエ・トゥッサン)、ラ・メール(リチャード・クレイダーマン)、あなたの道を生きて(ジーン・マンソン)、そして、ザ・レスト・オブ・ユア・ライフ(ジュディ・コリンズ)でした。脚本、佐山透。ご案内は松阪隆子。この番組はヘアースタイリングにあなたの個性が光る、花王のリーゼと楽しい食生活と健康をお届けする雪印乳業がお送りいたしました。
さて、来週の日曜日、11月6日、朝10時からフレッシュな新番組がスタートします。FMライトアップタウン、時に包まれて。私、亜蘭知子と素敵なゲストが繰り広げるカラフルなイメージの世界。来週第1回のプログラムではお馴染みカシオペアの向谷実さんをゲストにお迎えします。どうぞお楽しみに。
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【2019.12.15:管理者】
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